書くスキル
専門学校の資金を作ろうと、
ライティングをするずっと前は、
静岡県のお客様や銀座のお客様から、
ライターとしての仕事をいただいていた時期がありました。
そんなに大きな額ではなかったけれど、フリーで自分の好きな文章を書くことや、それに価値をつけて下さる方がいたことはとても幸せでした。
行政書士の実務書を読んだところ、
「分かりやすく、コンパクトかつシンプルに書く
こと」は大切だということでした。
新聞のコラムや社説はとても芸術的で、私は昔から大好きです。夏目漱石や樋口一葉よりも美しいと感じるときもあるくらい。
自分のスキルがそれに近づけばいいな、とは思いますが、
近づくことさえもなかなか難しいものです。
行政書士としてやって行く場面を想像します。
相手のニーズをキャッチして、また、その人のお皿の深さも探知して、必要な量だけ注ぐ。
こちらが話しすぎる、書きすぎるのはいけないけど、
逆に情報が少なかったら、何のために相談しにきたの?とクライアントの不満で済むだけでなく、行政書士への不信にも繋がるかもしれません。
手短にまとめつつ、絆づくりのコミュニケーションも図る。
いい塩梅というやつです。
それを目指していきたいと思います。
過集中が来るぞ❗️
やらなくちゃならないことでも、やる気が起きないことってあります。
でも、それでも本当にやらなくちゃいけない時、
追い込まれたら、
自分でも説明できないような過集中が来て、
時間も、それこそ寝食も忘れてしまう時があります。
行政書士の試験前2カ月はそうでした。
とっかかりを掴むまでは、自分を戒めながら敢えて集中しようと頑張るのですが、あるゾーンに達した後は、なんとも言えない感じなのですが、自分ではない何者かが代わりにやってくれてる感じかなぁ。そういう感じになります。
絵を描くのが好きなんですけど、絵を描き始めると、気づいたら夕方ということがよくありました。
読書の時の方が集中できません。
読書もこの状態になれるともう少し知識が増やせるのになぁ。
なのに、社会福祉士の試験の前にはそれが来ませんでした。
追い込まれると、ほとんどの場合に過集中が来るので、なんでか成功してる、完了してるというのがいつものパターンなんです。
でも、
「どうせまたあれが来るだろう」と
たかをくくってしまうと、来ないことがあるんですよね。
これってみんなのあるある?
それともわたしだけなのでしょうか??
社会が分化することの抵抗感
あるNPOが、赤ちゃんを育てられない妊婦さんを囲って出産まで面倒をみてあげています。
私個人はすごく良い方法だと思っているんですが、先日のニュースでやはり反対も多いと聞きました。
生まれたばかりの赤ちゃんは、
腕だけしか動かさなかったのが
5つの指をそれぞれ動かせるようになり、
児童になり、成長とともに指先の末端まで器用になります。
社会もそれと同じで、
どんどん分化が進むものだと思うのです。
産むまでができる人
産む手伝いができる人
育てるところから出来る人
その後の成長の支援ができる人
教育ができる人
少子化を問題視するのなら、
このNPOにもっと支援してあげてほしいです。
そしてさらにこのような団体を増やしていって欲しいです。
でも現実はこの団体に対する抵抗感は少なくないそうです。
「何で好き勝手してきて育てられない母親を庇うのか。」
という意見がたくさんあるようです。
そういうのって、社会が分化していく過程で生じるある種の抵抗感だと思います。
思春期の子供がさらなる分化に入った時の戸惑いのような。
かげながらこのNPOを応援しています。